サラリーマンがラノベ新人賞に応募するだけの備忘録

ラノベ作家に馳せるカスの鳴き声集

コラム集その二

コラム集その二です。

 

■ニュースサイトは害悪判定

 昔から馴染みのあるニュース。なんとなく見てしまうけど、見終わったら大抵忘れてる事が大半で、正直「いらなくね?」と思いつつも、見てしまっていた。

 ただ自分の時間が浪費するだけならまだしも、最悪なのは、ネットニュースのコメント欄だった。あれは辛い。ネガティヴな言葉、批判、暴言。毎回毎回、絶対と言ってほど戦い合ってるコメ主どもを見ると、具合が悪くなるレベルでストレスを覚える。

 あれはもう、受動喫煙と同じだ。

 けど怖いのは、それをニュースサイトだと、何回もやってしまうこと。コメント欄を見ないようにしてても、ニュースの反応が気になり見てしまうのだ。あれが最悪だった。負のループに毎度頭を抱えてた。どうしてストレスの溜まる物を見てしまうのか。

 そうしてニュースの蟻地獄に埋もれてしまった私は、結局禁煙できない大人みたいにズルズル見続け、ニュースを断てたのは27歳の頃。それまで自分のどれだけの時間とイライラをあそこで植え付けられ、無駄にしてたのか。ニュース断ちをしてからは、受動ストレスはたいぶ減り、メンタル的にも安定した。必要な情報は調べればなんとかなる。ニュース、特にサイトに書いてある事は大抵はアクセス数稼ぎのしょうもない記事。誰々が不倫したとか、政治的ないざこざとか、日本の反対側で起きた飛行機事故とか、本当に自分の人生に必要なものか、疑問なものばかりだ。我々は選択していかなければならない。沢山の情報の中から、要らぬものは切り捨てて自分を最適化して行こう。それが教訓だ。

 

■同級生は遠くに

10年前くらいか、僕はまだ高校生で、まだ"友達"とか"友情"とかを信じていた時分だった。

あの時は、特に理由も理屈もなく、ただ平板に繰り返しの日々をその場凌ぎで生きていた。今思えば、あの頃の僕は相対的にも世間的にも、何も考えていなかったのだと思う。

時たま、僕はこの歳になっても夢の中で彼らと会う。そう、高校の同級生の彼らだ。

僕は当時吹奏楽部で、コントラバスという楽器をやっていた。技術も音楽性も知識も人間性もまるで人より欠けていた僕は、同級生の影に埋もれながら、埋もれないように出しゃばり、空回りしていたのを覚えている。夢の中でもその自分は変わらず、彼らに白い目で見られるのも気にせず、甲論乙駁の不愉快な自己理論を、満腔春意にいけしゃあしゃあと喋っていた。夢の中ではとは言え、今も昔も、だ。僕は夢から覚めると途端に妙な大脳辺縁系の熱のそれを、きりきりと実感するのだ。ああ、なんて恥ずかしい人間であったか、と。

同級生の輪から外れたのは自然の事であった。当たり前というか、因果応報ってやつだった。まあ僕も彼らも共に10代だったのだ。お互い相容れないきゃ、集団側は排斥を行い、排斥された者は有無を言わずに出ていくしかない。それは別段不思議な事でもない。だから彼らと距離を取ったというより、勝手に離れたーー本来の位置に戻った、のだ。僕と彼らは普通じゃない奴と普通の奴というだけだった。今更だった。

追い出された僕は、その後自殺寸前の精神状態に陥った。排斥されたのならされたで、"友達(錯覚的)"という者がいない孤独に耐え切れる程の脳じゃなかったのだ。それを乗り越えるのに何年も掛かった。時に酒に頼り、親に頼り、仕事の上司に頼り、20代後半になるまで1人で生きるのに精一杯だった。

そして今や、僕を排斥した同級生の事を、そこまで興味や関心すら持たなくなっていた。誰と仲良くなろうが、誰かと結婚しようが、何をしてようが、ある意味良い意味で、どうでもよくなったのだ。

単に、友達だと思っていたのはあの時の僕しかいなくて、それこそ今も昔も、彼らは僕を"同級生"程度にしか思ってないだろう。いや、"知人"とかかもしれない。兎にも角にも、そういうステータスなのをどうのこうの言いたくもないし、薄情とか感情的だとか、そういう議論以前の問題なのに、ようやく僕は気付いたのである。僕は勝手に彼らを"友達"だと思っていた、と。相手の意向も認識せずにだ。迷惑極まりない。

ああ、そうだ。要は、僕の独り相撲だったのだ。恥ずかしい。人として、情けない。当時の彼らにはなんて謝ったらいいか、というのは被害者ヅラし過ぎか? 難しいな。

……まあ、色々書いたが、同級生の何人かにおかれては、きっと幸せに生きていると思う。だから僕なんて者は君たちの記憶の一部にあるかも分からんが、一応は名前くらいなら覚えてるだろう。Twitterとかやってないけど、さすがにな。

あの時はあの時、と言うと開き直ってしまっているようだが、きっとまたどこかで会ったのなら、その時はまた、その時の"同級生"でいて欲しいと思う。

一生誰かを好きとか嫌いとか、付き合うとか付き合わないとか、話したいとか話したくないとか、そういう若かれし永遠バイアスっていう思い込みがあるのは、もう分かりきっているだろう。謝りたい事も、個人的吉報も、愚痴りたいあれこれも、偉そうかもしらんが、また、"同級生"として聞けたらな、と思う。

どうぞ元気で。そしてまた会えたら、会えたで、笑い合えたらいい。

なんて、師走の暮れに近づく日、徒然思って、眠りにつく自己満の自分。

……オチ? ないよそんなのもん。